2017年8月15日火曜日

サッカー部の思い出

今日は昔話なのでタメになるお話0%です。渡部です。


最近,仕事の関係で,何故か「サッカー部時代どうだった?」という話になり,懐かしいのでここにしたためます。

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小学生からやっていたサッカーですが,私は中学卒業とともに辞めるつもりでした。
理由は弱小中学にもかかわらずスタメンとれないレベルだったからです。
高校は部活もせず,バイトでもして過ごそうと思っていたのです。

ところが,私が進学予定の高校は,「公立高校なのに監督がセルジオ越後と同じ釜の飯を食っていた(真偽のほどは不明)ぐらいすごい人で,公立高校なのに強い」という特殊な学校だったそうです。
当時,「学区」という概念が存在していたのですが,学区外からわざわざサッカーをするためにうちの高校に入る方もいらっしゃいました。

公立高校のため,スカウトとかはとてもできません。
そのため,監督から,在校生に対し,「入学予定者でサッカー経験者,かつ,見込みのある奴は,入学前の春休みの練習から参加させろ」という通達が出ていたようです。
ぼくの中学からはぼくとKが入学予定かつサッカー部ですから,先輩から上記通達が来ました。

K「源どうする?いきなり練習とか,緊張するから,できればお前と行きたいんだけど」
僕「あぁ,おれは高校でサッカーするつもりないから。」
K「マジかよ!やろうよ!」
僕「何より重要なのが,あの先輩,お前には通達しているけどおれのところにはとんと連絡がないということだ。
K「いやいや!『源も一緒に連れてこい』って言ってたから!お願いだから拗ねないで!」

そのような折,当時僕が好きだった子が,その高校の隣の高校に進学するという情報が入ってきました。

高校のサッカー部に入る。→当然練習試合とかする。→練習試合はきっと近隣の高校とすることがあるだろう。→その子の高校にも練習試合で行くかもしれない。→そうしたらたまたまその子が観戦しているかもしれない。→そのときの活躍によっては,恋が始まるかもしれない。

のちに弁護士になるほど聡明な頭脳を持っていた僕は,この仮説を10秒で構築。すぐに近くの公衆電話(時代を感じる)でKの自宅に架電。

僕「練習参加するぞ。」
K「おぉ!そうか!いつ行く?」
僕「明日にでも行こう。」

このように入学前の春休みから練習に参加が始まりました。
そして重要なことなので付言しますが,僕の好きな子の高校とは一度も試合をせず3年間が終わりました。

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入部してまず思ったのが,今までの僕のレベルからは桁違いでした。
たしか,1年生の選手権予選のときに初めて背番号をもらいましたが,到底試合に出れるわけもなく,チーム自体はベスト16まで進出。スタメンの先輩2名が県ベストイレブンに選出されていました。

当時の神奈川県予選は桐蔭,桐光学園,日大藤沢などの私立が上位にひしめきあい,公立高校で割って入れるのは弥栄,逗葉(僕が2年生の時,逗葉は神奈川を制し,全国ベスト16)など限られた高校で,ベスト16のうち,12〜13ぐらいは常連で占めていて,残りの枠を他の高校が狙う,という状況でした。

で,割とうちの高校はそこに割って入れる実力があったので,全国的には全くの無名でしたが,県下ではそれなりに名が通っていたと思います。

入部者も,最初は30人ぐらい参加しますが,夏までに一気に20人ぐらいまで減ります。僕の同期もそんな感じでしたが,3年生の最後の大会では,8人まで減っていました(忘れている奴いたらごめん。)。

ただここが高校部活ならではのドラマなのですが,辞める奴も,様々な理由で辞めます。
「練習が辛いから」という理由で辞めるのはむしろレアで,かなりの確率で自分の限界を知って,辞める奴が大半でした。
おれらからしたら絶対スタメン争い残れるのに,受験勉強との兼ね合いとか,日々のスタメン争いのストレスとか,後輩の台頭とか,様々な理由が複雑に絡み合って,決断します。
無論,そのような申し出をした場合,部員(特に同期)全員で止めます。それこそ1時間とか2時間とかとことん全員で話合ったりもしました。
最終的には本人の意思を尊重し,辞めて行くのですが,おれらからすると戦友で,ただ向こうからすると「途中で辞めた負い目」みたいなのがあって,廊下で会った時とか寂しい顔をしながら「最近部活はどう?」とか聞かれると,今でも目に涙がたまります。
少なくとも,僕の同期で,「練習が辛いから」という理由で辞めた奴は一人もいませんでした。

さてここで問題です。

弱小中学でレギュラーも取れずに,しかも邪な動機でこの部に入部した僕は,3年間,どのように生き残ったのでしょうか。

これは僕のサッカー感にもつながる話なので,時系列で追ってみましょう。

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【フォワード編】
監督「希望ポジションは?」
ぼく「中学はフォワードだったので,フォワードです。」

というわけで,最初はフォワードでした。

監督「おい。なんでお前はボールを持ったらドリブルでぶっちぎろうとばかりするんだ?」
ぼく「ぼくは足が速いので抜けると思って。」
監督「抜けてないよね?全然抜けてないよね?分かってる?お前のところで全部ボールロストしえいるの分かってる?パスって知らないの?
ぼく「ボール持つと視野が狭くなって実はよく分かっていません。」

1か月ほどでフォワードをクビになりました。ベンチでポカリスエットを作る日々が始まりました。

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【オフェンシブハーフ編】
下積み生活をしていたら,スタメンを発表する作戦盤(名前付きマグネットをペタペタ貼るタイプのやつ)に僕の名前が。オフェンシブハーフ?

フォワードから一列下がったおかげで,ポストプレーとかしなくて済むし,結構楽しい。勝手に動いても後ろがカバーしてくれるからここ良いな。

監督「源,次から出なくていい。」
ぼく「は?なんで?」
監督「試しに使ってみたが,お前には技術とセンスがない。

じゃあなんでここで使ったんだという話になりますが,とにかくクビになりました。ただ,オフェンシブハーフは,この後,人が足りないときにちょこちょこ使ってもらうことになります。

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【ストッパー編(ディフェンス)】
相手のフォワードをほぼマンマークする,ストッパーのポジションに僕のマグネットが作戦盤に。

普通,ディフェンスはフィジカル強い人がやるもんですが,ぼくのスペックは170センチ,体重56キロ(体脂肪2%)。どう考えても作戦盤のマグネットが間違えた位置にあると思って監督に確認したぐらいです。

ところが,個人的にはこれがどハマりしました。そもそもディフェンスは,「ボールを扱わなければならない攻めの人」と「カラダ一つの野獣」の戦いです。普通にやったら後者が勝つのは当たり前なのです(ただしメッシ除く)。
僕は足が速かったのでぶっちぎられることはないし,そもそもディフェンスの基本は「パスを受ける前にカットする」ですので,フィジカル勝負に持って行く前に勝負をディフェンスからしかけることができます。

そして,これ以降,かなり長期間ストッパー職人として研鑽を積むことになります。

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【サイドハーフ編】
ストッパー職人としてやりがいを感じていたある日,またもやポジションチェンジの指示がでました。
今度はサイドハーフ(サイドバック)です。
どうやら1対1のディフェンスでほぼ負けないようになった僕に,次のステップを与えた監督の配慮のようです。

基本相手に抜かれず(サイドを突破させず),機をみて上がれ,と。
幸いうちのセンターフォワードはベンチプレス120kgをあげる肉体派だったので,適当に真ん中に放りあげればなんとかしてくれる。技術のないぼくでもこれはいける。
2年生後半ぐらいの時期だったんですけど,この時期はサイドハーフとオフェンシブハーフを交互にやらせてもらうような時期でした。

なるほど。監督はここまで見据えた器用だったのか。

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【スイーパー編】
ここで事件が起きます。「源スイーパー事件」です。
スイーパーというポジションは現在ではほとんど見ませんが,簡単にいうと,「ディフェンスの中の一番後ろ」です。
ここを突破されたらあとはGKだけ。ディフェンスの一番重要なところ。ここが安定しないことにはチームに勝ちはない。そんな重要なポジションを,「チームで最も技術のない男」と監督に言われた僕が任されることになりました。

しかもタイミングが最悪の(?)タイミング。

3年生に上がる前後のタイミングでのポジションチェンジ。しかも,この時期はインターハイ予選を間近にした,チームコンセプトを決定しなければならない時期。

間違いなく,チーム全体が,「源を最終ラインに置いて勝ち上がらなければならない。」という危機感に襲われました。

ただ僕にとって救いだったのが,レギュラーGKが同期で,しかも新入生に明らかに上手いGKが入ってきたという事情がありました。
監督からすると,「今まで馴染んだレギュラーGKで戦うか,それとも伸びしろがある新入生GKにするか」の2択です。今までゴールマウスを守ってきた自負のある同期GKは心中穏やかではなかったでしょう。

さらに救いだったのが,僕と同期GKはすごく仲が良くて,帰宅方向も一緒だったということです。
あれは彼の方から持ち出してきました。

同期「源。監督は源をスイーパーで行くのは確定だと思う。」
ぼく「たぶんそうだろうな。平面でこられたらある程度は大丈夫だと思うけど,高さの勝負になったらやばい。梅ちゃん(長身,座高も高い。)だけでは対処できないかもしれない。」
同期「おれは生き残りたい。」
ぼく「おれらもぽっと出のやつよりお前にゴール任せたい。」
同期「おれと源,あらゆるシチュエーションに対応できるよう,詰めておこう。源と相性が良いことを監督が分かれば,おれは生き残れる。」

彼の「生き残る」という言葉には驚きました。ただの部活動で,そこまで入れこめるチームメイトがいるということは幸せなことだし,「生き残る」というのはまさに僕も1年生のときからずっと思っていたことです。

それからほぼ毎日,同期GKと練習以外でシチュエーションの確認作業が始まりました。帰りのバスや教室,練習後のグラウンドならもちろんです。
ボールの位置によって,それこそ1m単位でどちらがどうポジショニングを取るのか,どちらがボールにアタックをかけるのか,どちらが声をかけて指示をするのか,指示がダブった瞬間,どちらの指示を優先するのか,細部まで詰めました。懐かしい。

そして事件が起きます。

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【スイーパークビ事件】
インターハイ予選直前,ぼくがスタメン落ちしました。

理由は明確で,「利き足ではない左足で50mのキックができないから」です(監督談)。

利き足ではない左足の強化は以前から指示されていたのですが,スイーパーに転身した際,「とにかくおれのせいで失点してはいけない」という恐怖観念から,全てのクリアボールを確実な利き足で行なっていたのです。
しかし,同程度のレベル相手ならそれでごまかせるんですけど,格上相手を見越すとそれでは到底行けません。
そこで,監督は,ある試合中,「源!左でクリア!」「左使えや!」「ひだりぃ!」「てめえ◯◯ついてんのかぁ!左使ぇ!」などと決して罵声ではなく,指示をしていたのですが,全部無視しました。

翌日の作戦盤からぼくのマグネットが消えていました。

代わりにキャプテンがスイーパーに入ったのはいいんですが,ぼくよりかわいそうなのは,あれだけぼくとコンビネーションを詰めた同期GKの時間です。

普通,3年生になってスタメン落ちとか,なぐさめてもらってしかるべきなんですけど,同期GKはぼくにブチ切れてました(なんでスタメン外れてんだ,左足云々とか言われた。)。

ぼくは落ち込んでいたというと,実はそんなこともなく,「今更左足が急激に向上するわけないだろう。右足を使った判断は間違っていない。」という間違った判断をしていたのでどうにでもなれ,と思っていました。

そしてついに最終局面が訪れます。

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【ディフェンシブハーフ編】
インターハイ予選数試合前(たぶん1か月くらい前),何故か作戦盤にぼくのマグネットが。
しかもディフェンシブハーフ(ボランチ)に。

同期はみな興奮していましたが,ぼくは意味がわからなかったので,監督に直談判に行きました。
これは割と本気の直談判で,ボランチ向きの一個下のやつがいて,どう考えてもそいつの方が適任だったと思ったからです。3年最後だからと言って,そんな理由でスタメンもらっても嬉しくない。

理由は以下のとおりです。
・中盤を仕切っていたキャプテンをスイーパーに下げたことにより中盤の厚みが減った。
・中盤に上手い奴はそろっているが,ハードワークができる奴も必要。
・上に行けば行くほどうちの部員より強い奴がいる。その対策を初戦からやる必要がある。システムとして試してみたい。
・期待しているのは本当に中盤のケア。攻撃参加はおまけでいい。
・ケースによってはディフェンスラインに入るというオプションも考えて置いてほしい。

ということでした。

ただ,うちの部員ならわかると思いますが,監督がこんなことを言うわけはなく,当時のほぼ原文ママのやり取りはこんな感じです。

おれ「あそこ(ボランチ)に置いて,おれに何しろって言うんですか。」
監督「おまえ,平面で(空中戦じゃなくて)止められなかった相手って覚えているか?」
おれ「暁星の前田です(注:現FC東京の前田遼一選手。当時U18日本代表)。」
監督「そんなん当たり前だろ。違う。もっと現実的なやつ。」
おれ「うーん。やっぱC先輩(上記神奈川ベストイレブン)ですかね。練習でも抜かれまくってましたかね。」
監督「うん。Cに対しては怪我の遠慮とかもあるだろうけど,仮にCのレベルの相手で,それが相手校だったらどうだ。」
おれ「どうですかね。相手によるんじゃないですかね。」
監督「お前は本当におれの言いたいことがわからないやつだな。」
おれ「と言いますと?」
監督「試合始まって5分も経てば,相手のチームで一番上手いってやつ,わかるだろ?」
おれ「わかります。」
監督「そいつを殺せ。」
おれ「(察した。)手段は?」
監督「イエローカード1枚までは許す。」

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なお,上記「殺せ」というのは隠語で,「相手選手をゲームに参加させるな。プレイさせないようにマンマークして,ゲームから消せ。」という意味です。

要は,ぼくと相手が潰し合えば,11対11のサッカーのゲームが1枚ずつ減って,10対10のゲームになります。

ところが相手チームの減った1枚というのは「攻撃の要」であり,他方我々のチームの減った1枚というのは「チームで一番下手くそ」ということになり,理論上はこちらのチーム有利ということになります。

将棋でいうならこちらの歩一枚で相手の飛車の動きを止められないか,というシステムです。

懐かしい話ですが,これが正直楽しくて,相手の嫌がること(ただしファールはしない)を繰り返し繰り返しやり続け,チームも後輩を含めた全員で勝ち上がり,そのまま引退しました。

サッカーに関しては,高校3年間であれほど生き残りのための努力と知恵を絞った濃密な時間を過ごせたと思い,一度はやめようと思ったサッカーで,あんなに幸せな経験ができて,もう十分だと思ってしまいました。その程度の選手だったということでしょう。

人間的には褒められたチームメイトではありませんが,実際当時は喧嘩ばっかりしてましたし,でも,あれ以上のチームに所属して本気の勝ち負けをかけてヒリヒリした試合をすることは,もう一生ないと思っているし,それだったら,あのチームをおれの最後のチームにしたいと思って,今はすっぱり辞めてしまいました。たまに遊びで蹴るのも悪くはないですけどね。

なお,おかげさまでGK以外全てのポジションを経験させてもらったので,草サッカーでは重宝します。足りないところぼくやるんで。

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というわけで,お盆なので昔話を書いてみました。

懐かしいなぁ。

よく吐いたなぁ。

二度と戻りたくないなぁ。


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